【五家荘 平家の里 秘境の紅葉①】の続きである。
困難な道を経て、無事到着した。
ここの手前に広い駐車場があったが、【五家荘 平家の里】へセットしたナビは継続していたので上まで進む。
この日は平日、そして既に夕方であったので上の駐車場が空いていた。空いていたというより、私と入れ違いに最後の一台が帰ろうとしていた。
どんどん傾いていく陽に焦りを感じる。
思い付きによるお出かけは、情報不足、もしくは情報の混乱を招く。
ここに吊り橋があると思っていた私は急いで車を降り、最後の客に「吊り橋までけっこう歩きますか?!」と尋ねる。
「ここは五家荘というところで、吊り橋は少し離れたところにありますよ」といった答えが返ってきた。
知っている人はお気付きのように、すでに情報がおかしな事になっている。
正確にはここは「五家荘 平家の里」というところであるのだが、ここの写真と「五家荘」というフレーズのツアー広告がうたれやすいためか、五家荘=平家の里というイメージを抱きやすい。
①でも触れたように五家荘は、つまりは平家の里は紅葉の名所としての認知度が高いので、地域の総称ではなく、五家荘という観光スポットだと思ってしまうのである。
私もその一人で、この一箇所【五家荘というところ】に写真でよくみる建物と紅葉と吊り橋があるのだとばかり思っていた。
どうやら敷地に入るには入場料が必要のようだ。
駐車場向かいの建物で410円を支払う。
受付に「げんぺいつむぎ」というお守りなのかストラップなのか分からない根付けが売ってあったので購入してみる。600円。
とにかく急いでいたので、ここは神社だったか?など深く考える余裕はなかった。
早めにここ平家の里の見学を終えて吊り橋に行かなければ。真っ暗闇の中あの道を走るのはさすがにおっかない。
これだけの紅葉でありながら人の気配が全くないところからも、私が慌てる気持ちが伝わるだろう。
入ってすぐに紅葉のトンネルとお食事処。
着いた時にはまだ「商い中」の看板が出ていたが、人の気配はここにもない。
急いでいるというのに、この景色。
誰を気にするでもなくこうして鑑賞、撮影をしている。
これは喜ぶべき状況ではないのか?
焦る気持ちとは裏腹に、身体はいちいち立ち止まる。
階段を登るにも、なかなか先に進めない。
やっと登った先にはこれ。これはイベント時の能舞台として使用されているそうだ。
これが再現などではない昔から続く歴史的建造物だったのならば、どれほど価値のある景色だったろうか。
美しい景色を前にそんな事を考える。
とはいっても、金閣寺も清水寺も首里城も、現存天守を除く各地のお城も、再現・再建であることを思えば、そこに境界線など存在しないのかもしれない。
では、残り続けたものだけに価値があり、再現・再建されたものに価値はないのかというとそうともいえず、技術が継承され、歴史は伝えられていく。
だけれど、やっぱり私は人工物より自然の方に多くの魅力を感じる。
自然は嘘をつかない。
③へ続く