2016年4月16日の熊本地震からもう7年が経っていることに、この記事を書こうとして気付いた。
昔から阿蘇とは縁があり、阿蘇神社にも度々足を運んでいる。
あの地震で社殿のほとんどが崩壊してしまい復旧工事が続いているが、未だ終了とまではいっていない。
参拝の度に復旧の様子を直に捉えられているので、大切な神社を見守るような心境になっている。
神社に対して「見守る」とは失礼かもしれないが、神社仏閣も人間と共存しながら今日まできたと思えば、人間が見守る側になる時があってもいいではないか。
2022年秋、2023年1月の阿蘇神社の様子を残しておくことにする。
阿蘇神社 復旧
阿蘇神社の楼門
桜門は現在も大きなプレハブの中で復旧中である。
阿蘇神社は珍しい横参道で、社殿に対して左右に鳥居がある。
参道の遠く北方向には国造神社、南方向に阿蘇火口がある。
桜門前の手水舎は今では竹の流水仕様になっている。世の中にコロナが現れてから、この仕様になった神社は多い。
2022年秋の阿蘇神社
右側の入口は、2021年とは位置が変わっていた。
願掛け石と高砂の松
右側入口から入ってすぐに【願掛け石】がある。
願かけ石の由来
削除往時(六千年前)当神社の祭神阿蘇大明神が もろもろの願いをこめて祖神の霊に額(ぬか)づかれたというこれは当時の「霊場の岩石」の一部といわれ未(昔)より神石として伝承保存されてきた。
南北朝の時代より祈願成就の神石として独自の信御を得てきたが室町(六百年前)の頃より 神霊を更に具現してその恩恵にあやからんものと人々この神石に手をふれて願いごとを口々に唱えたという
すなわち「顔かけの石」の起った所以である。
※なお祈念にあたっては先に願いごとを 念じこの神石をでること三度更に願いごとを唱えるべしとある
願掛け石に願いをしたら、その右側に【えんむすびの松】がある。
「謡曲で有名な 高砂の松」と書いてあるが、どんな曲だろうか。
昭和の時代、NHK紅白歌合戦で歌われた歌謡曲だろうか?と調べてみると、全くの別物だった。
その謡曲というのは、世阿弥元清(ぜあみもときよ)=世阿弥という室町時代の能役者、能作者による戯曲「高砂」だそうだ。
世阿弥、子どもの頃の教科書で聞いたような聞いてないような。
男性は左回りで2回、女性は右回りで2回。
色んな良いご縁を願って回ってみては。
阿蘇神社の復旧した拝殿
2021年始めにはまだ足場が組んであった拝殿が、2021年7月半ばに5年3ヶ月の期間を経て完成していた。
スロープが作られたのは、今の時代らしさを感じる。
左右で違う壁面。この左側の茶のは以前からあって地震に耐えた部分だったと思う。
このコントラストがむしろ美しい。
この復旧には県内の木材が多く使用されたそうだ。
珍しく人の居ないシャッターチャンス。
一の神殿はこちらから拝める。二の神殿も右側から。
帰り際、再び写真を撮ろうと構えると太陽が拝殿のてっぺんに重なった。
ありがとうありがとう、この最高の瞬間を。
神からの祝福を受けていると私は受け取った。
おみくじは「吉」だったけど。
ようやく冬が去って春の暖かさと明るさが出てくる運気です。これから徐々に明るい展望が開けてくるでしょう。
お正月の巫女の募集をしていた。使っていただけるならなりたいものだ。
2023年1月の阿蘇神社
ここからは2023年。
人ヒトひとで、モザイクをかけるのが大変だ。
観光客や参拝客が絶えない神社ではあるが、お正月に行ってもいつもすんなり駐車場に入れるので、私は阿蘇神社に好かれていると思っていた。
それが、コロナが落ち着いてきたからか、今年のお正月は駐車場に入れず工程を変えた。
入れないなら後でくればよいだけなので、先に他へ行くことにした。
改めて訪れると、向かい側には未だ駐車待ちの渋滞が起きていたが、私のいた車線からはすんなり入れた。
やっぱり私は阿蘇神社に好かれているんだと思う。
ありがとう。阿蘇の神様。
【阿蘇神社】
〒869-2612熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1